はじめに
2006年12月下旬、私は年明けを待たずに兵庫の実家を出て、再び東京で自活することになった。
私は1965年生まれなので、2007年は本厄に当たる。
自分ではそんなことは気にしないし、いつが厄年かということすら知らなかったのだが、父がどうしても厄払いしろとうるさく言い続けるのに根負けして、しぶしぶ地元の神社(大石神社)でやってもらった。
自分は底辺労働者をやるだけという意識、それは特に自暴自棄なものではないが、少々憂鬱な感じだったのだが、それは当然これからの現実、つまりは日中の大半の時間を低賃金で切り売りせざるを得ない現実から来るものであった。
ただ、そんなことは東京へ行く前から分かっていることであり、まあなんとかするさという思いもあった。そしてそれが自分の厄なんだろうと思っていた。
しかし、5年ぶりの東京はそんな自分の見通しをはるかに超えた世界であった。
私の周囲に集う面々は、近現代の理念、すなわち、むき出しの利害を調整しつつ個人を尊重しようとしてきた営みを完全に否定するかのような、またはある種の思考能力が欠落しているかのような、あるいは人格の存在すら疑いたくなるような凶暴な面々であった。
それらの多くが行進のように大腕を振って歩く姿を見ると、これらの生き物は全体主義的動物としか表現しようのないようにみえた。
世界の現実は教科書に書いてあるような理念型とは異なる。これは頭では理解しているつもりだ。ただ、日本は比較的その理念を体現している方だと思っていた。
私は「猿の惑星」に降り立ったテイラーの心境だった。
もし興味を持たれたならば、レポートを読んでもらいたいと思います。
実名を公表するのは、自分には信用の担保が何もないからです。もちろん実名をさらしたからといって話の内容の信ぴょう性が高まるわけではありませんが、私がリスクを負うという意思表示にはなるでしょう。
くわしくはレポート、レポートの修正にて。
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