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8-1 社会形成の基盤  世襲の是非

(前提:望ましい社会とは)

 望ましい社会を想定してみる。大部分の人が賛同するであろうごく一般的なものである。

○第一段階(最低限のもの):個人の領域・安全が守られる社会

社会が形成されるとは、個々の人間が関係を構築するということである。そのためには、自分が侵害されないという相手に対する信頼が必要になる。そこで、互いに相手を侵害しないという無言の契約が結ばれることになる。

 しかし、人格は一代限りであり、個性も様々、とんでもない欠陥も一定数発生するため、法や刑罰が必要となる。

 多様な価値観、価値観の変化といっても、この点は譲れないところである。もし、絶対的な悪は存在しないというのならば、

 一人を多数でいじめたおすことが正当化しうるのか?

 子供をなぶり殺しにしてよい理由がありうるのか?

 強姦が美徳とされる時代が来るというのか?

 本当にそう思うなら、公明党のマニフェストで堂々と主張したまえ、といいたいところだ。

 このカルト教の問題は、一方(裏面)で集団ストーキング(集団暴行)などを行ないながら、他方(表面)ではポルノ写真の所持のみを処罰しようとする点にみられる。

 これらは表裏一体である。他人になんら危害を加えていない者を処罰したい者は、処罰自体がしたい者、他人をただ管理したい者、すなわち他人を侵害したい者と考えざるを得ず、そいつが異常なのである。そいつこそ処罰されねばならない者なのだ。カルトにとっての「法」とは不法の手段にすぎないのだ。法を立脚する基盤となる正義の観念が存在しないのだから。

 カルトが立法・行政にいるということはそういうことであり、最低限度の個人の安全が守られないことを意味する。

○第二段階:公正な競争社会

 理想を言えば、成功はそれをやり遂げた個人一代限りで、子供は一線からヨーイドンというもの(機会均等)だが、まだまだそれが望める社会でないことは私にもわかる。

 第一段階は私の現状に対応し、第二段階はここでのテーマ(世襲の是非)に対応する。

(世襲の是非)

1 評価の甘い国

○議論の土台

 石原都知事発言(2009.6.12)

 「結局、人物本位だと思う」

○私の考え

 ある人物が適正か否かどのように評価するか。少なくとも、親の影響がない場所で個人の能力が試されねばならない。

 石原氏は画家の四男(延啓氏)を都の事業に参加させたことを批判されたが、その際に彼が発した言葉が「余人をもって代え難い」である。この話題は世間でそこそこもりあがった。しかし、冷笑されるだけで終わってしまうところがこの国の閉塞感が揺るがないゆえんだろうか。

 石原家の私的領域内の話ならば、「うちの子は天才ざますから」と言おうが、「親バカ」で済まされるが、この事例は実質的には横領・背任に等しい。

 盗みだとわかっていてもどうにもならない国。最近のイギリスと比較してみよう。いくら裏がひどいのは同じでも、バレればただでは済まないのがあちら側、という点で、言論に対するモチベーションが違ってくるのではないかと考える。

2 先入観(先入的評価)について

○議論の土台

 自民党公認候補小泉進次郎氏は小泉元総理の次男。以下は彼の経歴

 関東学院大学卒業 → 就職せず → コロンビア大学院 → 米国シンクタンク

○私の考え

 この経歴を見て、アメリカでのものは完全に親の力で、カムフラージュにもなっていないと思ったが、ネット上の議論を見ても同様だった。

 国会議員の家系ならば、有名私大の附属にもぐりこませて、コネで就職させる事は簡単だと思われるのに、なぜそうしなかったのか。親がルーズなのか、若い頃に離婚した事情によるのか、あるいは、どんなお膳立ても無力なダメ息子だったのか、私にはわからない。

 もし小泉元首相がよき(実績を上げた)政治家で、子息に地盤を継がせるなどと言わなければ、上記の事情はすべていい方に解釈されただろう。「おおらかな」「小泉さんらしい」という風に。

 しかしそういうことではないので、進次郎氏の人物評価に手心を加える必要はあるまい。

(ただ、私としては、石原氏のように、小学校から慶応に入れてしまって、一流企業と完璧なレールを敷いてしまったほうが姑息で厄介だとは思うが。)

 関東学院大学というのは、世間的評価はたぶん低いのでしょう(私は私学のレッテルを上から真ん中くらいまで言えるが、その中にないので)

 しかし、そういう「先入観」は個人によってはもちろん覆されうるものである。

 田中角栄は小学校卒で、政治家としての評価は分かれるところだろうが、「小学校しか出ていないのにすごい」と言われることはあっても、「無能」という評価は聞いたことがない。

 ただ、「覆されうる」といったように、レッテルを覆さなければならない分ハンディを負うのだ。(東大卒がこの逆で、有能の推定が働き、こいつは実はたいしたことがないと言いたい側が立証責任を負うわけである。)

 建築家の安藤忠雄氏のように圧倒的な実績があれば、建築界においても「高校卒」は全く問題にならない。

 2人の例を出したが、このくらいギャップが大きいと、逆に低い学歴が勲章のように目を引くことになる。(田中角栄は「今太閤」といわれ、豊臣秀吉にたとえられた)

 だから、小泉進次郎氏は、劣勢を覆すだけの何かをするしかあるまい。それは選挙に勝って「民主主義の洗礼を受けた」などと開き直ることではない。

 まず自分ひとりの力で生活をし、なおかつ自分が国益を担える人物であることを証明しなければならない。これはたやすいことではあるまい。

 彼が議員になりたいというのは、社会の風に身一つでさらされたくないからであり、生活保護を年2000万円くれというようなものだと、私は「先入的評価」をする。

 何度も言うが、それが当たっていない事を彼が「別の場所で」証明するしかないのだ。

(後記)

 石田徹也氏は画家である。若くして逝った(2005年 31歳)。彼の絵のほとんど全ては自画像をモチーフにしたもので、社会風刺、社会批判を思わせる強烈な画風である。

 彼の作品の一つに「面接」がある。私が解釈するならば、「日本の会社が大学生のサラリーマン適合性を顕微鏡で見るように緻密に精査する。面接前からその事が分かっている大学生の目は死んでいる」というものだ。明確なメッセージが見て取れるので、誰が解釈しても同じだろうと思う。

 そして私といえば、留年を繰り返し、就職はしなかった。(片手くらい受けたが、本気で就活をしたとは評価されないだろう)

 そういう私だから、自分の経歴に関して、いちいち「この間は何をしていたんだ」とか詮索されることは好まない。

「そんなの私の…」と言えるはずもないから、言い訳を考えるのが一苦労だし、そういうことを思考する自体が嫌である。(キツネとタヌキのバカし合いだと始めからわかっているとしても、それをこなすのが社会人だと言われれば、返す言葉はないが)

 そういう私でも、小泉進次郎氏については臆せずものが言える。彼は国民代表になろうとしているのだから、万人による厳しい審査を受けるのは当然である。

 そして、この日本社会が、一方では経歴の一分の隙もなく、自分が会社に役立つ事を説明するよう要求しながら、他方では能力の審査もなくパスさせる、この矛盾について考えずにはいられない。

 社会の大部分のコンセンサスが得られない社会、それをごまかそうとする(マスコミなどによる)策略のみが横行する社会、その行き着く先はモチベーションの低下、文化の停滞、犯罪の横行、そして、内戦だろうか。

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