6-2 メディアを使ったストーキング きっかけ
市民社会に浸透し、日本の権力構造にまで入り込んだカルト教団が私に目をつけた原因は、2ちゃんねる掲示板における私の書き込みしかないと考える。私の書き込みが自分の予想に反した当たり方をしたためだと。
その書き込みをした時期は、私が接するメディアに関して、これ以外にも不思議なことがいくつかあった。
(例1) 偶然の一致
実家の自分の部屋ではほとんどラジオをつけっぱなしにしていたので、新聞を読むときには、目と耳で異なるメディアが入ってくることになる。
偶然の一致というのは、たとえば自分の目が新聞記事中の「湯たんぽ」という文字を捉えているときに、ラジオの出演者が湯たんぽの話題を始める、というようなことである。
ニュースの内容を構成する単語ならば、その確率は高くて当たり前だが、ニュースと無関係ならば偶然というしかないだろう。当時はそれが頻繁に起こったので自分でも気味が悪かった。
湯たんぽ以外の話題はみんな忘れてしまったが、再び東京に出てきた当初も同様のことがあった。
住む場所も仕事もなかったので、まず南千住の安いホテル(一泊2500円くらい)に身を置きながら、短期のバイトをしつつアパートを探した。
ある日、南千住のネットカフェで、付近の地図を検索しながら耳ではポッドキャスト「アイモーリー」を聞いていた。ホテル周辺を調べていたのだが、目が地図中の明治通りで止まり、「明治通りに近いんだな」と思ったと同時に、耳ではモーリーさんが「明治通りが…」と言ったのである。
(例2) 意外な影響
柴田孝之先生という司法試験受験指導者がいる。私は柴田先生のファンで、先生の講座を受講し、ネットオークションで先生の教材を売買したりもしていた。
ヤフオクで自分が売り手に立つ場合、高く買ってもらうために宣伝文句を考えなければならない。自分も閲覧者にアピールできるよう、嘘ではないかつ買い手の食指をそそるような文句を考えた。
「●柴田先生の講座のコンセプトは…」と、詳しくても簡潔でわかりやすくをモットーに書いたつもりだったのだが、驚いたのは、その後柴田先生のブログに「○私の講座のコンセプトは…」と更新されているのを見つけたときである。
法学で認められるならともかく(柴田先生のブログには、旅行先で合格者から声をかけられたとか、そういう記述があるが、そんな一員になること)、ヤフオクの広告が引用されたという形で認められても(これも勝手に思っているだけだが)、法学で劣等な分いっそう気恥ずかしいだけなのだが、それでもネットが予想もしない影響を及ぼす可能性については考えずにいられなかった。先生のブログを見たときはゾッとしたのが正直な気持ちである。
(例3) 予兆めいた妄想
実家でのある日の夕方。部屋には間接照明一つ。薄暗くしていた。物音一つしなかった。BGMのNHKラジオだけが鳴っていた。
そして私は流れてくるニュースに固まってしまった。
ニュースの内容は、誰かが橋から落ちたというものである。それは被害者の身内でないかぎり固まってしまうほどの事ではないだろう。
アナウンサーは「陸橋から転落」と言った。
私の素性をご存知の方ならば、この時点で次のような連想をするかもしれない。
「陸橋から転落」→「立教から転落」
そう。私もこれが頭に浮かんだ。しかしこれが固まった理由ではない。私はそれほどナイーブではないと自分では思っている。こんなことで気をわずらっていては身がもたない。そのとき感じたのは、「転落と言ってもらえるほど立教も一流になったのか(苦笑)」というくらいだ。
で、固まった理由というのは、アナウンサーが「陸橋から転落」このフレーズのみをわずかに強調したと感じたことである。古館伊知郎のように強調したのではない。あくまでNHKアナが読むニュースとしての外形をとどめたまま、ほんの気持ちである。
「こいつ(このアナウンサー)確かに上げたよな。いったい何なんだ。」
自分はラジオだけが鳴る部屋でしばらく立ち尽くしながら、何か得体の知れないものに巻き込まれていくような不快感に捕らえられた。
(評価)
例1は単なる偶然だろうが、それほどめずらしいことではないらしい。ある日、図書館でたまたま見かけた本の内容が、それと似たようなことを扱っていた。「人生には不思議なことがある」くらいの事なのだろう。
例2は、2ちゃんねるでの私の書き込みと同様、ネット特有の影響力ということだろう。個人が発した情報が万人に共有されるというものである。これはたまたまであっても十分に起こりうることで、だからこそ中国政府あたりは神経質になっているのだろう。(私の現状を考えると、日本も同様ということになるが。)
ちなみに、当時の2ちゃんねるでの柴田先生に関するスレッドでは、先生がヤフオクでの教材の売買をチェックしているような(おそらく他者からの)記述があったと記憶しているが、その情報の信憑性はともかく、そういう風にして情報が広まっていくのである。
例3は単なる妄想である。これは前に書いたような含みのあるものではなく、たぶん期待できない(ちょっと未練はあるが)。しかし、このときの悪い予感が当たってしまったのは事実である。
(後記)
番外として一例を挙げる。
実家でのある日の深夜、私はテレビのドキュメンタリー番組を見ていた。事はCM放送中に起きる。
CMは関西の不動産会社だったと記憶している。若い女の子が新居に引越しをしてわくわくしているという演出だ。賃貸マンションである。
私の耳はCM中の一言をとらえた。
「働け」
若い女の声である。画面がどうなっていたかは覚えていない。コマーシャルを熱心に見るほうではないので。ただCM中の違和感のある一言に頭のほうが反応したのだ。
「ん? なんか言ったよな。働け? なんで?」
その違和感はずっとおさまらず、後日姫路のネットカフェで情報検索したのだが、何も出てこない。
数年経ってこの文を打ち込んでいる今、久しぶりに検索をかけた。CMのサブリミナルについてはいろいろ出てきたが、残念ながら同じ体験談はなかった。
これは事実かもしれないし、事実でないかもしれない。
ただ、裏付ける情報を得られなかった以上、事実だと主張することは難しいだろう。
私が訴えたい事実にはこういう難しい事象がとても多い。そして、私は勘違いを起こしうる普通の人間である。しかし、自分の感覚の大筋は間違っていないと考える以上、描写を続けていくほかないと考える。
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